映画「ジョーカー」で主人公のアーサーは”人を笑わせる”コメディアンになりたかったのに、
”他人に笑われる”だけのピエロになってしまいました。
笑わせる事と笑われる事の違いはどこにあるのだと思いますか?
具体的に例を出せば、
「ハゲている芸人の髪型を笑う」これが笑われている状態です。
起承転結を作って、落ちを用意している場合は笑わせている状態だと思います。
簡単にいえば、
前者は馬鹿にした笑い、後者は計算されている笑いです。
これは僕の勝手な憶測なんですが、
相手を笑わせる事しか考えていない人は”笑われること”しか出来ない人だと思うんです。
何故そう思うのかというと、
笑う側…つまり観客だって馬鹿ではないからです。
視聴者が全員おなじ感性で、同じことをやったら笑って頂けるなら、笑いのテクニックのみを勉強すれば笑わせる事は可能かもしれません。
ですが、視聴者だってそれなりに目は肥えていますし、笑わせて貰おうと全員が全員思っているわけではありません。
では、どうすれば”笑わせる”ことが可能なのか?
それは全く関係ないことを学んでしまうことだと僕は考えます。
例えばの話、
ホラー映画のクライマックスで怖い幽霊が主人公の目の前までやってきて「世界平和について」語りだしたら観客は笑ってしまうと思います。
これはわかりやすい極端な例ですが、
他人を笑わせようとしか考えていない人は、こういった”引きとオチ”すらわからないかなと思うんです。
なんなら「世界平和」はボケでも何でもない真面目な話です。
そういう駆け引きって、一歩下がって全体を見ないと思い浮かばないと思うんですよね。
笑いって笑わせない技術もあるから、逆に笑ってしまうとかの複雑なものだと思うんです。
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